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格付けする理由は「競走馬の評価方法の統一化」
文化も歴史も考え方も異なる世界中の国々で行われている競馬。
大陸を越えての競馬国際化が進む中、レースの価値観を共有するための”世界共通基準”が1981年に設定されました。
レースの格付けはご存じの方も多い「G1、G2、G3」ですね。
共通基準が生まれる前は、例えば「G1」とレースに銘打ちながらも、国よって賞金額や出走馬のレベルに違いがあり、G1レースに優勝したのに「その国のレースは低レベルだから価値は低い」と評価に曖昧さやバラつきがありました。
そこで、競馬開催国に「パートⅠ、パートⅡ、パートⅢ、パートⅣ」と格付けし、同パートのレース格付けは共通の価値と定められました。
このように「国」と「レース」に格付けがされ、例えば「アメリカG1とフランスG1は同じような価値がある」というふうに互換性が確保されました。
格付けする理由は、競走馬の評価方法を統一し、取引を円滑にするためです。
<1970年>欧州内でのレース基準が決まる
各国で行われている重賞(※)を一定の基準に基づき共通の格付けを行うという考え方は、国をまたいでの出走が一般的であったヨーロッパで生まれました。
1970年、欧州各国の重賞を統一の基準に基づきランク付けし、それが表記された「欧州パターンブック」が作成されました。
そのランクが、「グループ1、 グループ2、 グループ3」というグループ制。Groupの頭文字を取って「G1、G2、G3」と表記されます。
そしてこのグループに入れなかった重賞は「リステッド競走」とされました。
ただ、毎年開催されて格のあるレースなので「重要な賞」であることは確かです。
<1973年>北米内でのレース基準が決まる
北米においては、レースの統一格付けは1973年にTOBA(Thoroughbred Owners and Breeders Association)のプロジェクトとして始まり、アメリカ合衆国・カナダ共通の格付けを行うこととなりました。
北米でのランクは「グレードⅠ、グレードⅡ、グレードⅢ」というグレード制。Gradeの頭文字を取って「GⅠ、GⅡ、GⅢ」と表記されます。
<1981年>欧州と北米の共通基準が決まる
ますます国際化が進む中、1981年に「国際セリ名簿基準委員会」が組織され、欧州と北米での統一的な基準に基づき、国と重賞の格付けが行われることになりました。
競馬開催国が上述の「パートⅠ~Ⅳ」に区別され、レースの格も「同じパートなら同様の価値」と定められました。
その後、南米、豪州、アジアの国々がパートに認定されていきます。
グループ制とグレード制の違い
1981年の基準統一後は、欧州のグループ1競走と北米のグレードⅠ競走は同じ価値のレースということになります。
(同じG1でもレースによって重みや価値が異なりますが。)
当初はそれぞれ独自の基準を設けていたので、統一の基準が設けられた1981年以降も「欧州はグループ制」、「北米はグレード制」となっております。
なので、なので、グループ制とグレード制の違いは歴史と名称のみということになります。
グレード制を採用しているのはアメリカ合衆国、カナダ、日本、南アフリカ共和国の4ヶ国のみです。
ちなみに、グループ制はアラビア数字、グレード制はローマ数字で表記されます。
パート認定国
国際セリ名簿基準委員会により「G1(グループ1、グレードⅠ)」に認定されたレースに優勝した馬は、セリ名簿にて太字で記載されます。
つまり「目立ちます」。
例えば血統表を見たときに太字表記の馬が多いとサラブレッドとして良血だということが一目瞭然となります。
パートⅠ
・すべてのレースに国際グレードの格付けが適用されます。
1981年認定
アイルランド、アメリカ合衆国、イギリス、カナダ、ドイツ、フランス
1985年認定
アルゼンチン、オーストラリア、チリ、ニュージーランド、ブラジル、ペルー、南アフリカ共和国
2003年認定
アラブ首長国連邦
2007年認定
日本
2016年認定
香港
エルコンドルパサーが2着した凱旋門賞(1999年)では、「格下の日本馬の激走」でパートⅠ国が驚いたのは想像できますね!
僕は子どもだったので当時の雰囲気は知りませんが・・・。
パートⅡ
・一部のレースに国際グレードの格付けが適用されます。
※イタリアとウルグアイはもともとパートⅠ認定国でしたが、資金面での運営問題により降格されました。
インド、イタリア、ウルグアイ、韓国、シンガポール、マレーシア、ジンバブエ、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、トルコ、パナマ、プエルトリコ、ベネズエラ、マカオ
パートⅢ
エクアドル、オーストリア、オランダ、カタール、ギリシャ、コロンビア、サウジアラビア、ジャマイカ、スイス、スペイン、スロバキア、チェコ、トリニダード・トバゴ、ドミニカ共和国、バーレーン、ハンガリー、ベルギー、ポーランド、メキシコ、モーリシャス、モロッコ
パートⅣ
・障害競走を開催する国がこのパートに属します。
アイルランド、アメリカ合衆国、イギリス、イタリア、オーストラリア、スイス、チェコ、ドイツ、日本、ニュージーランド、フランス
日本のグレード制について
日本はグレード制を1984年に発足。もちろん他国との互換性は無かったので「日本独自のグレード制」。
1981年~2006年(国際セリ名簿基準委員会の組織~パートⅠ昇格まで)の間、日本は「パートⅡ国」でした。
パートⅡでも国際グレードを取得することは可能で、ジャパンカップや宝塚記念など13のレース(G1・5レース、G2・6レース、G3・2レース)はパートⅡ時代から国内グレードと同じ国際グレードを得ていました。
なお、クラシックレース(桜花賞、皐月賞、優駿牝馬、東京優駿、菊花賞)は外国馬に開放していないレースだったので、パートⅠ昇格後も「国際グレード無し」で「Jpn1」として開催されていました(パートⅠ国の国際グレードを持つレースはすべて外国に開放しなければならない為)。
クラシックレースは2010年に国内グレードと同一の国際グレード(G1)を取得し、外国馬の参戦が可能となりました。
グレードを降格されたレースはゼロ
日本のグレード制は独自の判断基準だったため、「日本国内ではG1だが国際的にはG2」という評価のレースは多数ありました。
例えば「安田記念」がそうです。
この状態で「安田記念」を国際セリ名簿基準委員会に国際グレード取得の申請をしても「G2」と指定されてしまうため、国際グレード基準でG1となるまで申請をしませんでした。
1993年に外国馬の出走が可能となる「国際競走」に指定しながらも「国際グレード無し」で開催されていたのはこういった理由からなのです。
このあたりが「日本の競馬は興行的なもの」と分かるエピソードですね。
なので、国際グレードを取得している重賞で、国際グレードと国内グレードが異なっていたレースは(表面的には)存在しません。
まとめ
欧州各国で始まった「国を越えての競馬の欧州基準」。
欧州と北米とでサラブレッドの売買やレース参戦が盛んになり、競馬の在り方が国際的になった際に作られた「世界共通の競馬の評価基準」。
それに続くようにオーストラリアやアジア各国も世界競馬に参入。
これにより世界全体で競走馬の質が高まり、文化としても興行としても競馬は盛り上がっていきました。
なにかと「ガラパゴス」と揶揄されることが多い日本。
日本競馬も例に漏れず「ガラパゴス競馬」と言われることもあります。
ですがそれは、日本の生産者やJRAが日本競馬産業が脅かされる可能性もあったにも関わらず世界に目を向け、海外からサラブレッドを輸入し国内の総合レベルを上げ続け、競馬先進国(僕はそう考えています)にまで成長させた努力とその成果が突出していたからだと考えています。
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世界中で行われている競馬。レースだけではなく、開催国にも格付けが存在することはご存じでしょうか?
この記事ではそんな世界競馬の基準について解説します!