今回紹介する1冊はこちら。
『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』
【発行日】・・・2022年1月30日
【頁 数】・・・248ページ
Contents
こんな人にオススメします!
- メタバースについて知りたい方
- メタバースという潮流が生まれるまでの経緯について知りたい方
- Facebookが「Meta(メタ)」と社名変更した理由が知りたい方
- 日本企業がメタバース業界にどう参入できるのかが知りたい方
著者はどんな人?
著者の岡嶋裕史氏は1972年生まれ。
中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。富士総合研究所勤務、関東学院大学経済学部准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授。
ちなみに、二次元オタクで推理小説オタクだそうです。
あまざけの所感
「そもそもメタバースとは何なのだ?」という基本的な疑問に対して本書では答えてくれています。
ただ、本書ではメタバースを実現するシステム云々の技術的な話は出てきません。
「人間の精神や行動を鑑みて、メタバースが社会にどう認知され、浸透していくのか」ということに重きを置いていて、全体的には社会論としての様相です。
テックジャイアントであるGAFAM各社のそれぞれの強みを活かしたメタバースへの取り組みも紹介されているので、世界では今どのような潮流なのかが分かります。
本書のタイトルの通り、「メタバースとは何か」を語るにあたって、以下の項目にザックリと分けられています。
- メタバースでできることとは。
- メタバースを必要としているのはどのような人か。
- メタバースで解決できる課題、新たに生まれる課題。
これらについて、著者の考えが書かれています。
著者は二次元オタクらしいので独自の目線で話が展開される箇所もあり、アニメ好きな僕にとっては理解が早まりました笑。
メタバースの萌芽として、メタバース的な設定の日本のアニメやゲームがいくつか紹介されています。
グリーの子会社である「REALITY」がメタバース事業を始めているように、アニメ先進国の日本であればメタバースの潮流に乗ることができるのではないかという可能性を解説されています。
この潮流の中で日本企業が存在感を示すとしたら、メタバースがよいと思うのである。
サブカルチャーで高い評価を得て、独特なプレゼンスを確立している日本はメタバースでブランドたり得る。
何せオタク世界の支配言語は日本語なのだ。世界のオタクは最前線に触れたいとき、まず日本語の情報にアクセスする。
本の内容
それでは、本書の要点を紹介していきます。
メタバースとは「自分にとって都合がいい快適な世界」
メタバースとは、辞書的な定義を書けば「インターネットにおける仮想世界」とのこと。
本書では、メタバースの定義を「現実とは少し異なる理で作られ、自分にとって都合がいい快適な世界」としています。
この”都合の良い快適な世界”をすでに具現化しているサービスがあると、以下の紹介がされています。
アイドルはもともとの存在そのものが「自分にとって都合のいい部分だけを切り取った、理想の異性像」である。
このような存在はクラスや職場にネイティブに実在するわけはない。
であれば、仮想現実でいいのではないか。
恋愛のいいとこ取りを求めた仮想現実化は、昔からあった。
売買春がそうであり、ホストクラブや援助交際、パパ活、港区おじさんなどがどの時代にも雨後の筍のように現れる。
アイドルや恋愛以外でも、足が不自由な人が走り回ることができたり、人が空を飛ぶことができたりと、「都合の良い快適な世界」なら可能となるだろうと述べられています。
リアルを模倣するのか、新しいリアルを創り出すのか
メタバースを巡っては、2つの潮流があります。
①リアルと同じような世界をサイバー空間に作る(デジタルツイン、ミラーワールド)
②リアルとは切り離された、新しい世界を作る(メタバース)
※本書では②をメタバースと定義して話を展開しています。
①の世界でできることとは、
- リアルを模倣したサイバー空間に核兵器を落としたらどうなるか
- パンデミックがひどいことになった時の予想
- サイバー空間で宿題をやったらリアルの教室で返却される
上記のようなことができてしまう世界となります。
②の世界でできることとは、
- 重力をカットする
- 性別を変える
- 足が不自由でも大地を駆け回れる
- 人が空を飛ぶことができる
著者の言う「現実とは違う理で作られた世界」というのは②の世界になります。
「自由」と「平等」は食い合わせが悪い
メタバースが「都合の良い快適な世界」だとして、それを求めてやってくる人たちが欲しているものは何でしょうか?
メタバースへ没入する人は、現実では手に入れられない「自由」や「平等」を求めているのだと思います。
しかし、その「自由」と「平等」は食い合わせが悪いと著者は言います。
自由を獲得するともれなく責任がついてくる。能力や資源に恵まれた人はいいのだけれど、そうでない人にとっては自由はけっこうしんどい。自由平等と何の気なしに言うが、自由と平等は食い合わせが悪い。
自由にすると差が生じ、平等を推し進めると自由でなくなる。
人間は自由であるべきなのだ、多様性を認めるべきなのだ、という訴えはそれが正論であるだけに強い圧力で個人の行動を制約する。不自由なくらいがいいのに・・・と考える多様性や、もうちょっとみんなの考えがまとまっていたらいいのに・・・と思う多様性は、そこでは認めてもらえない。
すると、リアルな社会は自由を謳歌できる少数の強い人には居心地よく、そうでない多くの人には怖くて息苦しいものになる。
ひょっとしたら、自由という博打は失敗したのかもしれない。
だからこそ、別世界であるメタバースに惹かれるのだが・・・
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もう一つの世界はリアルとは違う理で動いている。だから、リアルでの格差はいったんリセットされる。
でも、世界である以上、平等ではない。
と、言うことになりますよね。
真っ新な世界でイチから始めたとしても、そこがひとつの社会である以上、格差は生まれます。
バランスの良い意見を持つ人ほどメタバースを求める
メタバースは「自分に優しい世界」「都合の良い世界」を提供するサービスです。
そんなにそれを欲している人がいるのか?と疑問に思われる方は、きっとリアルで活躍されている方でしょう。でも残念なことに、リアルでの生活に違和感や閉塞感を持ったり、リアルとは別の世界で活躍したいと考えている潜在的な利用者は多数に上ると考えられます。属性の同じ者を囲い込み、それによって生じるフリクションのない空間で「快」を提供するサービスであるSNSが隆盛を極めていることからも、それは説明できます。
本書にはこのように書かれていますが、これとは別に悪影響についても言及しています。
それについては、「エコーチェンバー現象」と「フィルターバブル」という言葉がキーになります。
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自分と似た意見や思想を持った人が集まる場所(SNSなど)にて価値観の似たもの同士が共感し合うことで、特定の意見や思想が増幅する現象のこと。
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インターネットの検索やSNS利用時に、サイト側が利用者の履歴を利用し、その利用者に合わない情報を遮断する機能。
これらによる悪影響はメタバースで提供される快適な空間では解消されるのではないか、と著者は記しています。
エコーチェンバー現象とフィルターバブルにより、ノイジーマイノリティの偏った意見が増幅される
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それが「ネット世論」として多数のメディアで紹介される
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サイレントマジョリティが社会に対して窮屈に感じるようになる
感情と正義の同一化もやっかいな問題である。
個人主義の浸透した世の中では、個人が自分なりの考えを持つのはよいこととされているが、表層的に理解してしまうと、「自分の気分を害するものは、不正義だ」と短絡してしまう可能性がある。そのため、正義にまつわる論争なのか、単に自分の感情を害されて怒っているだけなのか、にわかに判断がつかないレスバトルがある。今私たちがおかれている環境はこのようなものだ。
よほど強い主張がなければ、よほど確固たる覚悟がなければ、参入するのをためらう空間である。だから多くの人は降りてしまうのである。
バランスのよい意見を持つ人ほど、嫌気が差してしまうのである。
だから、違う理で作られた快適な世界であるメタバースは、分厚く安全な繭になってくれるだろうと著者は言います。
それは福音ではなく、単に地獄の回避であるかもしれない。しかし、それを飲み込んでなお、メタバース的なものを求めている人は私たちの想像を超えて多いだろう。
テックジャイアントに支配されることは気持ちがいいだろう。
胡乱な政府よりずっと質のいい快適を提供してくれる。
本書のポイント
最後に本書のポイントをまとめておきます。
- メタバースとは「自分にとって都合がいい快適な世界」
- メタバースはウェブやSNSの代わりにはなり得る。
- 「人の手で作られた快適な世界」を求める人は想像以上に多いだろう
- 「多様でなくてもいいのに」という意見は、昨今の「多様性」の括りには入れてもらえない
- 社会に対して窮屈に感じているサイレントマジョリティはメタバース的なものを求める
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